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自分のためのまとめ記事が多くなってきた。「思いつきで動く。」から改名してみた。
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2008.07.24 Thu
えっと、おおげさなタイトルつけちまったな、まあいいか、このまま突っ走ってみる。
で、文章からその書いた人のこと自身を読むコツなんだけど、自分が考えてるのはこれ。
  • なぜそれを書いたのか?
  • なぜそれを書かなかったのか?

 ほら、たったふたつでつまんないだろ?でもこれだけで充分だと思うんですよ。基本的に文章というのは一直線の暗号文。この一直線というのがミソなわけでして、マンガみたいに「絵を見てセリフ見て構図見て」みたいに、目をキョロキョロしてはいけない窮屈なコードなんですよ。縦のものは横に読めない、なんて当たり前すぎること書いてるけど、一文字一文字つなげていくうちに暗号文を完成させなきゃいけないからこのコツが役に立つんですよ。
 文章は一直線なんだから風景を描写するのにはそもそも向いてない。でも名文へのほめ言葉で「情景が目に浮かんでくるようだ」というのがよくあるよね。これは「視覚」が一番すごいと思ってる人たちがたくさんいるからなんだよね。少なくとも読者になりうる人は「視覚」が一番すごいと思ってる人が多い。法律文や数学の証明を見て美しいと思うような人はそもそもこういうの読まないし書かないからね。
 だからそういう視覚好きの人向けに暗号文を作成するときは、一つのことを書いたあとに別なことを書いて複線化したり、意味の薄い文を挿し込んで文章に空間を作ったりするんだと思うよ。それと文章下手な人は「、」とか「。」とか余白を一行つけたりして、なんとか文章に空気入れようとごまかすよね。この文章もそう。そういう工夫をして絵を作ろうとするけど、さっきも言ったとおり文章は一直線なんだからどう頑張っても線描画にしかならないんだよね。
 ついでに書くと散文が線描画で、ポエムが水墨画なんじゃないかと僕は思うのね。ポエムなんて読んだことないけど、たとえば「ささやき いのり えいしょう ねんじろ」という復活の呪文ポエムなんだけど、死んだ人が生き返るという超展開を表現するために絵の四隅にちょんちょんと筆を入れるくらいしかうまい方法がないんだわ。逆に散文は「なんでこのあとにこの線入れたの?」ってしょっちゅう聞けてしまえるんだよね。

 はなしがそれたけど、じゃあそういう絵とか風景とかを切り捨てて文章自体を考えていくと、なんでこの人はこのことを取り上げたんだろうかなんてことに集中できてしまう。別に今日のお風呂で最初にどこを洗ったかとか、セミの鳴き声がうるさいとか書いたっていいのに、なんで書かずにそれを取り上げたかを考えられるわけ。それは文章は一直線で暗号を伝えるから自分が注意を向けた関心事しか書くスペースがないし他のことはある程度切り捨てないといけなくて、関心事に対する注意の向け方や焦点の当て方でその人の考え方が丸見えになってしまうんですよ。また、特にブログなんかでは切り捨て作業の精度が甘いから「枝がつく」というか枝が茂ったまま出てて匿名でもわかりやすいんですね。
 ジャングルの奥地に住む部族は草木の種類を植物学者なみに分類できるし、年頃の女の子はファッションブランドをそれぞれ区別できるし、波動球を108式まで分類できる人もいる。でもこれ全部できる人はいない。つまり注意力というのは無限ではなくて有限のリソースなんで、その少ない資源をどこに向けたかというのでだいたいその人の注意の向け方や意図や方向性がわかるんですね。


 なんか絵空事ばかり書いててもつまらないので実習してみる。たとえば、私の知っている某有名はてなダイアラーのリアルでの特徴。これなんだけど、無関心なことに注意を向ける人はいないことはさっき書いたよね。だから上げるか下げるかしたいから書いたわけ。それから箇条書きにしてるのは、書き手自身の情報を消して客観的な風を装いたいという意図だよね。「(余談)」って書かなくてもいいのに書いてるね、顔はどっちに向いてるかがわかるね(「顔」って方向な)。「通常の非コミュ」をわざわざ出してきてるのは、対比させる意図のほかにも色々と想像がつくよね。

 これに書かれたらしい人のことはよく知らないので今回流し読みしたけど、確かに繊細なことを書いてるよね。読んでて面白いし。で、この人がなんで繊細なことを書いてるかというと、逆説的だけど繊細になれないからなんだと僕は思う。他人に気を遣える注意リソースをもってる人はそもそもそんなことを考えない。逆に気を使えない人はなんでトラブルになったかわかんないから、後で注意リソースをそこに向けてずーっと考え続けるんだね。で、頭で考えたことを文章化するんだけど、頭で考えたこともない人たちには、それはとてもありがたい文章になる。うまくいったときの場面を書く、概念で書く、作り話で書く、どんな方法でも良いけど、そこに注意を向けて文章化できるだけでも貴重な存在なんだと思うよ。なんでもうまくやれててハッピーな人の文章や、できないし考えもしない人よりも。


 なぜそれを書いたのか?なぜそれを書かなかったのか?このふたつは本人の注意力が向かっている方向の裏返しになってる。普通なら気づくはずのことを書いてなかったり、当然のことをわざわざ書いてたり、そういうのは考えが浅いか経験がないか当たり前だからか気づきもしないからか、少し気をつければどの方向から書かれた暗号かわかる。


 結論。日本には書道とか漢字とか縦読みとかの伝統があるから絵的に読むのも面白いけど、絵的に読まずに一本の線として文章そのものに集中して読むのも面白い。タイトルに名前負けした上、予想外に長くなったけど、とりあえずそういうことで。


ついでに
 美しいと思う文章があるよね。それは計算された美しさ、または枝をきちんと剪定した美しさという種類と、計算のない美しさの2種類があるよ。今年、子供が生まれたという文章と、とあるメンヘラさんの文章ふたつを拝見したけど、どちらも美しいんだよね。前者は喜びで疾走感溢れてて計算がないし、後者は守るものがないから計算することもないというのが美しさの秘訣なんじゃないかなと思った。



こちらから自分で転載、そして僕は村人じゃないよってことを熱烈アピールしてみる。ブックマークコメントのxevraさんの見てて思い出したんだけど、じゃあなんでこれ書いたの?っていう質問に対して縦読みを仕込んでおくというアイデア、書いてるうちにうっかり忘れてた!こんな感じでいつも中途半端なんだよなぁ。

追記
+疑心暗鬼は心に毒。一部の人には勝手に合わせ鏡を作らされたような不快さが残ると思ったのでアピールしてみましたよ。
+katzchangさん、仰るとおり。この内容は当たり前といえば当たり前のことなんですよね。
+yukitanukiさん、書き手の「当たり前」と読み手の「当たり前」のガチンコです。
+ululunさんとjulajpさんの指摘するとおり、内容が当たり前すぎてもここに書く意図は?という無限ループになるんだけど、そこを押さえるオチを完全に忘れたのは猛反省。
+というか、書いた本当の理由はリアルに「太陽が眩しかったから」。今日は暑くてサボって引きこもってた。

+bgvilleaさんのエントリ、楽しく読ませていただきました。面白いですね、そもそも日本人という大前提があることまではきづきませんでした。地球が回ってることに今更はっと気づかされたようなきもちです。ちょっと関係ないけど「枝がつく」というのは盗聴されるという意味で、暗号という言葉にかけて使ってみましたが結構てきとうな使い方してますね。
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