自己紹介とToDoメモなんでもまとめ思いつき日記的過去に書いたもの+ネタ的ヤフオク・マケプレの技術未分類
自分のためのまとめ記事が多くなってきた。「思いつきで動く。」から改名してみた。
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2008.07.18 Fri
ニートだけど通学中の幼女の大群に襲われた。あと人生って何?への回答。
http://anond.hatelabo.jp/20080710001202
 2兆円?少なくない?
 俺はみんなにくばる。60億人に平等に配る。350円位?世界中のみんなが吉牛食べられるよ!


 それか、会った人に毎日配る。俺に挨拶しにきたら千円、一日一回限定、みたいな。
 でもたぶん日本だけだと地元のテレビに取り上げられて終わりだろうな。
 だからもちろん、世界を廻るよ。

 成田出発してインドに降り立ったらナマステーの大合唱。おれもナマステーナマステー言いながら歩くうちに秘書がどんどん千円入りの封筒を配る。空港からホテルに着くまでに2000人は下らないだろうな。
 翌日から用意してた自転車で各地を廻るの。うわさを聞いた群集がどんどん俺についてくるの。俺のちゃりんこの後に何万のインド人がドドドドドって砂埃上げながらついてくるの。レグールの黒い砂埃が俺のうしろで舞うわけ。それで、行く村々でみんなが首を長くして待ってるのな。村人の好意で寝床も用意してくれるんだけど、夜中の0時をまわった直後に挨拶に来る連中が列を作ってるからおれなかなか寝れないのな。またかよっ、とか眠くて機嫌悪くなってるけど、そもそも言い出しっぺ俺な。
 その頃にはロイターが世界中にこのニュース配信してて話題騒然なわけ。で、南インドまで行ったらおもむろに言うの。「陸路でアフリカ行こーかな」ってさ。
 インド人動揺するの。やっぱりインド人はびっくりするの。もっとびっくりしてるのがパキスタンとかの人たち。まじで?やべーよ、まじであの変なヤパン人くるわけ?おとーさん頑張っちゃうぞーみたいな。
 で、俺はそのまま自転車でパキスタンに入国するの。国境にインド人が集まってるのな、インドだから半端ない人数で、80万人くらい。でパキスタン側にも5万人くらい集まってるの、国境が混乱して


 やばい、時間だ。途中だけど、そろそろ逝かないと。夢語るうちに終わることもあるよ。




こちらも自分で転載。元増田から返事くれるかと思って待ってたけど、、オチが弱かったかな?
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2008.07.24 Thu
えっと、おおげさなタイトルつけちまったな、まあいいか、このまま突っ走ってみる。
で、文章からその書いた人のこと自身を読むコツなんだけど、自分が考えてるのはこれ。
  • なぜそれを書いたのか?
  • なぜそれを書かなかったのか?

 ほら、たったふたつでつまんないだろ?でもこれだけで充分だと思うんですよ。基本的に文章というのは一直線の暗号文。この一直線というのがミソなわけでして、マンガみたいに「絵を見てセリフ見て構図見て」みたいに、目をキョロキョロしてはいけない窮屈なコードなんですよ。縦のものは横に読めない、なんて当たり前すぎること書いてるけど、一文字一文字つなげていくうちに暗号文を完成させなきゃいけないからこのコツが役に立つんですよ。
 文章は一直線なんだから風景を描写するのにはそもそも向いてない。でも名文へのほめ言葉で「情景が目に浮かんでくるようだ」というのがよくあるよね。これは「視覚」が一番すごいと思ってる人たちがたくさんいるからなんだよね。少なくとも読者になりうる人は「視覚」が一番すごいと思ってる人が多い。法律文や数学の証明を見て美しいと思うような人はそもそもこういうの読まないし書かないからね。
 だからそういう視覚好きの人向けに暗号文を作成するときは、一つのことを書いたあとに別なことを書いて複線化したり、意味の薄い文を挿し込んで文章に空間を作ったりするんだと思うよ。それと文章下手な人は「、」とか「。」とか余白を一行つけたりして、なんとか文章に空気入れようとごまかすよね。この文章もそう。そういう工夫をして絵を作ろうとするけど、さっきも言ったとおり文章は一直線なんだからどう頑張っても線描画にしかならないんだよね。
 ついでに書くと散文が線描画で、ポエムが水墨画なんじゃないかと僕は思うのね。ポエムなんて読んだことないけど、たとえば「ささやき いのり えいしょう ねんじろ」という復活の呪文ポエムなんだけど、死んだ人が生き返るという超展開を表現するために絵の四隅にちょんちょんと筆を入れるくらいしかうまい方法がないんだわ。逆に散文は「なんでこのあとにこの線入れたの?」ってしょっちゅう聞けてしまえるんだよね。

 はなしがそれたけど、じゃあそういう絵とか風景とかを切り捨てて文章自体を考えていくと、なんでこの人はこのことを取り上げたんだろうかなんてことに集中できてしまう。別に今日のお風呂で最初にどこを洗ったかとか、セミの鳴き声がうるさいとか書いたっていいのに、なんで書かずにそれを取り上げたかを考えられるわけ。それは文章は一直線で暗号を伝えるから自分が注意を向けた関心事しか書くスペースがないし他のことはある程度切り捨てないといけなくて、関心事に対する注意の向け方や焦点の当て方でその人の考え方が丸見えになってしまうんですよ。また、特にブログなんかでは切り捨て作業の精度が甘いから「枝がつく」というか枝が茂ったまま出てて匿名でもわかりやすいんですね。
 ジャングルの奥地に住む部族は草木の種類を植物学者なみに分類できるし、年頃の女の子はファッションブランドをそれぞれ区別できるし、波動球を108式まで分類できる人もいる。でもこれ全部できる人はいない。つまり注意力というのは無限ではなくて有限のリソースなんで、その少ない資源をどこに向けたかというのでだいたいその人の注意の向け方や意図や方向性がわかるんですね。


 なんか絵空事ばかり書いててもつまらないので実習してみる。たとえば、私の知っている某有名はてなダイアラーのリアルでの特徴。これなんだけど、無関心なことに注意を向ける人はいないことはさっき書いたよね。だから上げるか下げるかしたいから書いたわけ。それから箇条書きにしてるのは、書き手自身の情報を消して客観的な風を装いたいという意図だよね。「(余談)」って書かなくてもいいのに書いてるね、顔はどっちに向いてるかがわかるね(「顔」って方向な)。「通常の非コミュ」をわざわざ出してきてるのは、対比させる意図のほかにも色々と想像がつくよね。

 これに書かれたらしい人のことはよく知らないので今回流し読みしたけど、確かに繊細なことを書いてるよね。読んでて面白いし。で、この人がなんで繊細なことを書いてるかというと、逆説的だけど繊細になれないからなんだと僕は思う。他人に気を遣える注意リソースをもってる人はそもそもそんなことを考えない。逆に気を使えない人はなんでトラブルになったかわかんないから、後で注意リソースをそこに向けてずーっと考え続けるんだね。で、頭で考えたことを文章化するんだけど、頭で考えたこともない人たちには、それはとてもありがたい文章になる。うまくいったときの場面を書く、概念で書く、作り話で書く、どんな方法でも良いけど、そこに注意を向けて文章化できるだけでも貴重な存在なんだと思うよ。なんでもうまくやれててハッピーな人の文章や、できないし考えもしない人よりも。


 なぜそれを書いたのか?なぜそれを書かなかったのか?このふたつは本人の注意力が向かっている方向の裏返しになってる。普通なら気づくはずのことを書いてなかったり、当然のことをわざわざ書いてたり、そういうのは考えが浅いか経験がないか当たり前だからか気づきもしないからか、少し気をつければどの方向から書かれた暗号かわかる。


 結論。日本には書道とか漢字とか縦読みとかの伝統があるから絵的に読むのも面白いけど、絵的に読まずに一本の線として文章そのものに集中して読むのも面白い。タイトルに名前負けした上、予想外に長くなったけど、とりあえずそういうことで。


ついでに
 美しいと思う文章があるよね。それは計算された美しさ、または枝をきちんと剪定した美しさという種類と、計算のない美しさの2種類があるよ。今年、子供が生まれたという文章と、とあるメンヘラさんの文章ふたつを拝見したけど、どちらも美しいんだよね。前者は喜びで疾走感溢れてて計算がないし、後者は守るものがないから計算することもないというのが美しさの秘訣なんじゃないかなと思った。



こちらから自分で転載、そして僕は村人じゃないよってことを熱烈アピールしてみる。ブックマークコメントのxevraさんの見てて思い出したんだけど、じゃあなんでこれ書いたの?っていう質問に対して縦読みを仕込んでおくというアイデア、書いてるうちにうっかり忘れてた!こんな感じでいつも中途半端なんだよなぁ。

追記
+疑心暗鬼は心に毒。一部の人には勝手に合わせ鏡を作らされたような不快さが残ると思ったのでアピールしてみましたよ。
+katzchangさん、仰るとおり。この内容は当たり前といえば当たり前のことなんですよね。
+yukitanukiさん、書き手の「当たり前」と読み手の「当たり前」のガチンコです。
+ululunさんとjulajpさんの指摘するとおり、内容が当たり前すぎてもここに書く意図は?という無限ループになるんだけど、そこを押さえるオチを完全に忘れたのは猛反省。
+というか、書いた本当の理由はリアルに「太陽が眩しかったから」。今日は暑くてサボって引きこもってた。

+bgvilleaさんのエントリ、楽しく読ませていただきました。面白いですね、そもそも日本人という大前提があることまではきづきませんでした。地球が回ってることに今更はっと気づかされたようなきもちです。ちょっと関係ないけど「枝がつく」というのは盗聴されるという意味で、暗号という言葉にかけて使ってみましたが結構てきとうな使い方してますね。
2008.07.29 Tue
■はてなブックマークに思うこと

はてブというのは、「たぶん誰かが言うだろうなぁ」という主張エントリをみんな期待している雰囲気がある。そういう記事にはみんな集まる。
その逆を狙って、違和感を惹起させることを目的とした記事を書き手が狙ってる雰囲気もある。
この逆狙いの記事が増えすぎると場が混乱するけど、また大物っぽい人が正論をぶちあげて、なんだか一件落着ってな雰囲気になる。

それと、安全無害な精神論が定期的に出てきてブクマが集中する。みんな待ってるんだ、やわらかい精神論。読んで胸がすーっとする。
でも、それで終わり。5分読むだけで自分が変われるなら10分後には元の自分に戻るもの。
皮肉でなくて、逆に考えるとこれは人間の凄さだと思う。戻れるのも能力のうち。

はてブはこれの繰り返し。それに、ブックマークが200集まったって半年後には誰も覚えてない。自分ですら。
たぶん、僕のこの記事も、去年誰かが似たようなのを書いたと思うし、来年も誰かが似たようなことを書く。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

ところで、
実はアンパンマンにとって一番必要な存在はバイキンマンだし、
バイキンマンだってアンパンマンが正義のパトロールをするなんて言い出さなかったら、アニメに出演できなかった。
アンパーンチで一件落着したら、あとはみんなで手を繋いで「ゆうきの鈴がリンリンリーン!」と歌い続ければいい。
歌が終わった頃には、その日バイキンマンがどんないたづらをしたかなんてもう忘れてしまってる。
こういった構造は5歳のころから始まってるのかな?


2008-04-28


■ここに真のマッチョがいる
ついでに一言。


アンパンマンには真のマッチョがいる。僕は彼を尊敬してやまない。
それはナイスガイな食ぱんマンでもなく、職人らしい律儀さを持つジャムおじさんでもない。
彼の名は天どんマン。

天どんマン、彼はおのれの頭を箸で叩き、愉快に歌い歩く。自ら愉しみ、飽くことを知らない。
彼は正義の味方の象徴たる、空飛ぶマントを身につけない。正義には悪が必要だと知っているから。
彼は自らの意思で空を飛ばない。飛ぶことは悪を探し、必然的に悪を生み出すことを意味するからだ。

彼は自らのライフスタイルを崩さず、恥じることなく着慣れた野良着で歌い歩く。
たとえば、彼の前で「ロハス...」とつぶやいてみれば、僕は自分がどれだけ薄っぺらい言葉にしがみついていたかをすぐに悟るだろう。
ここに彼のゆるぎない信念の源があるし、そこから彼の自信が生まれる。

彼は頭の天どんを食べられてもガッツを失わない。
アンパンマンと違い、彼は天どんを丸ごと喪失したときこそ、真の底力・そのマッチョ性を示す。
すなわち、驚き慌てた心をすぐにリセットし、状況を把握し、猛烈な勢いで屋台を組み上げる。
それも、彼のエッセンスたる頭の天どんを喪失した状態で。
そして、すぐにご飯を炊き、カラッと天ぷらを揚げ、頭に盛り付ける。
なんという自己管理能力。その隠し持ったストイック性を見て、僕は驚き、すぐに尊敬の念を持つようになる。彼は、水を掛けられただけで意気消沈するようなパンくずどもとは違う。

彼こそ真のマッチョ。
彼のうしろ姿を見るといい。
彼の足取りは大地に腰を据え、しっかりと地面を踏みしめて歩く男の土臭さに溢れている。
彼の歌を聞くといい。
それは自ら愉しむ彼自身を歌う歌詞だ、今日もどこかで彼の歌声が聞こえる。
♪てんてんどんどん、てんどんどーん♪

2008-04-28、過去の転載、ブックマークくれてた人ありがとう
はてなブックマークに思うこと、のブックマーク
2008.08.10 Sun

■おいしいコーヒー個人的まとめ

趣味で模擬喫茶店みたいなのやってた。今でも一人暮らしなのに毎月1Kg飲んでる。

【おいしさの重要度】

淹れたて>挽きたて>>炒りたて>>>>>豆のブランド

  • 淹れたての目安 一時間。
  • 挽きたての目安 一日。  
  • 炒りたての目安 一ヶ月。 (一週間以内がベスト)
挽きたてについては、最初の1日は「コーヒー」、1日たつと「コーヒー風飲料」、3日たつと「黒い液体」、7日以降は「廃液」。

とりあえず家でできることは、淹れる前に挽くことと飲む分だけ少しずつ淹れること。

それと高級豆よりも売れ筋の安い豆のほうが実はおいしい。(商品の回転が早くて鮮度がいいので)。庶民にコーヒーのブランドは無意味。

あと、常識だけど最初の蒸らしでコーヒー粉がモコモコしてくるのがおいしい証拠。

一杯分のお湯を沸かす5分の間に手際良く豆を挽いてペーパー置いてカップ温めて準備する、慣れるとこの儀式そのものが気分転換になってくる。


※予想外にブクマついたので追記。

豆の「焙煎風味」自体が好きな人は高級麦茶も買ってみ。スーパーででも。300円の江戸麦茶で珈琲に無い真髄?が味わえるよ。

 



 

2007年06月03日に書いたもの。

今も268人がブックマークしてくれてます。参考になれば幸いです。夏も熱い珈琲は美味いです。

わかりやすく区切るために目安を「一時間、一日、一ヶ月」にしたけど、個人的には淹れたてが30分、挽きたては90分が限界だと思っています。

片手間に書いたので説明不足なのが前から気になってたんだけど、写真つき:毎朝美味しいコーヒーを飲むためにというお役立ち記事を書いてくれた方がいたのでもう追記の必要ないですね。写真つきで解説できるなんてブログってうらやましいなぁと思った瞬間でした。参考になります。


2008.10.15 Wed
ノーベル賞ニュースの直後からネットで物理学のキーワードを読んでたんだけど、気づいたことが一つある。

内容の意味が本当にわからない。

今まで、自分はそこそこ頭が良い、書かれた文章で理解できないなんてことはない、みたいにうぬぼれてたんだけど、そんなことはないんだと実感した。他の理系分野はけっこう理解できるのに物理学だけはウィキペを読んでても本当に一言も理解できない。これから先もわかるようになるなんてことはないと達観させられるような意味不明さだ。これはちょっとした絶望だけど、ちょっとした安心でもある。人生の不可能性を知ることは可能性に想いをはせるよりも大事なことだ。まぁ、これは逃げ口上だけどな。

しかし、物理学の用語はなにを見てもおもしろいものばかりだ。語感がいい。「ケマル・パシャ」やら「世界5分前仮説」やら「童子切り安綱」みたいな言葉を呟くだけで快感にひたれる文学部出身者にはたまらない世界。たとえば「ゼーマン効果」「マクスウェルの悪魔」「クォーク」「不可逆性問題」「量子色力学」「チャンドラセカール限界」「ドリフト電流」「ローレンツ力」・・・とにかくいい。書いていくときりがないくらい魅力的な言葉だらけだ。

文学部を無断で代表して言わせてもらう、こういうの大好きだ。なんでこのフレーズの後にこの言葉がくるの?というサプライズ感がたまらない。口に出すだけで気持ちよくなる。だから許してほしいんだ、エントロピーを日常会話で使ってみたり、生きる辛さを重力に喩えてみたりする無礼を。翻訳がいいんだろうか、よくわからないけど、とにかくあこがれるフレーズには違いない。なにも知らない文系は羨望の気持ちでもって物理学の言葉を盗用する。たぶんこれからも。


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ブログ再開のきっかけがなかなかつかめないです。
10月9日に匿名ダイアリに書いた文章ですが、もう見られることもなさそうなので、とりあえず自己転載してみます。
http://anond.hatelabo.jp/20081009223814
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